愛知県立岡崎高校の正門=岡崎市
入学の日に迎え入れ、卒業の日に送り出す。出会いと別れのときに、たたずむ学校の門。その何げない存在が脚光を浴びようとしている。古いもので100年も前に造られ、今も現役の学校門が愛知県内にあった。県教育委員会が文化財として保護しようと、県立高校の門を調査した。
「門は学校の顔。もっと光を当ててもいいのでは」。県教委文化財保護室は1年半前、古い門がないか情報提供を呼びかけた。県立高校全149校のうち、新制高校が発足する1948年より前にルーツがある54校が対象だ。
調査によると、明治後期~昭和初期に造られたとみられる校門が、旧制愛知一中の旭丘高校や旧制愛知二中の岡崎高校などの13校に13門、残っていた。
県教委と一緒に現地調査をした名古屋大学大学院の西沢泰彦教授(建築史)は、13門の中でも7門に注目する。いずれも1923~30年ごろの間に造られたとされる鉄筋コンクリート造(ぞう)の門で、高さ3~3・6メートルの主門柱2本と脇門柱2本の計4本で構成していることや、柱身がブロックを積み重ねたようなデザインになっていることなど多くの共通点がある。
西沢教授は「一つの図面を標準設計とし、いくつもの門に応用した可能性がある」と説明する。津島高校に、「■■■学校正門設計図」と、校名がない設計図があったという。「校名を変えればどこでも使える。中等教育への関心の高まりに応えようと愛知県が一律に設計し、対応したのでは」と話す。
7門が造られたとされる大正~昭和初期、愛知県では進学希望者が増え、中等学校の新設が相次いだ。県立中学も1921年には9校だったが、30年には14校に増えた。7門は「中等教育機関の拡充を示す存在」だという。
また、7門が鉄筋コンクリート造であることにも西沢教授は着目する。建築年が古い安城農林高校や岡崎高校の正門は石造だが、それ以降は鉄筋コンクリート造が多い。「最先端だった鉄筋コンクリート造の技術が、地方都市に普及していった様子が表れている」と西沢教授。長年、生徒を見守ってきた学校の門を見比べることで、教育と建築の歴史が浮かび上がってくるという。(浦島千佳)