アルビン・タヒリ
(9日、平昌五輪開会式)
特集:平昌オリンピック
SPIN THE DREAM 羽生結弦
民族紛争のさなか、独立宣言してから今月で10年となるバルカン半島の小国コソボに初の冬季五輪選手が生まれた。国唯一の代表でアルペンスキーのアルビン・タヒリ(28)。9日の開会式では旗手として入場行進した。
父がコソボの人口の9割を占めるアルバニア系住民で、母はスロベニア人。旧ユーゴスラビア時代、父はセルビアの自治州だったコソボからスロベニアに移り住んだ。そこでタヒリは生まれ、スキーを始めた7歳から腕を磨いた。国籍はスロベニアを選んだ。
1990年代、アルバニア系住民とセルビア人が対立したコソボ紛争。幼いタヒリは事態を正確にのみ込めなかった。ただ、父がコソボの親類や知人に電話するたび、ふさぎ込んで涙した姿を覚えている。死傷者が出て建物は破壊された。親類の多くは難民となって国外へ。「幸いにも親類は生きのびたけど、父への影響は大きかった。今でも何かあると泣いてしまう」
コソボが独立宣言した2008年2月17日を忘れない。タヒリは「コソボのスキー代表にならないか」と電話で誘われた。スキーが盛んなスロベニアで代表の座は遠い。「五輪出場は僕の夢。コソボなら」。国籍変更に迷いはなかった。
だが、前回ソチ五輪は不安と焦りを胸にテレビで見るしかなかった。国際オリンピック委員会(IOC)が同国オリンピック委員会の加盟を認めていなかったからだ。「ただ空を眺めて待つのはつらい」。スキーの腕前を磨くとともに歯科医を志した。コソボは14年秋に加盟承認され、五輪には16年リオデジャネイロ大会から初めて参加。開会式をテレビで一緒に見た父は泣いていたという。柔道女子では初の金メダリストが生まれた。
独立宣言のあと、紛争中は一度もいけなかったコソボをよく訪れる。戦火はやみ、壊れた建物はきれいに戻った。だが、アルバニア系住民とセルビア人の対立は深く残ったままだという。国際連合の加盟国になっていない。
五輪憲章は「五輪は個人または団体の競争であり、国家間の競争ではない」とうたうが、タヒリは国代表としての思いを強くする。「紛争のつらい時期は乗り越えたけど、国民の多くはいまだに苦境にあり、明るい未来を見いだせていない。小さくて貧しい国だけど、コソボ代表として誇りを持ち、みんなに勇気を与えたい」。昨秋に歯科医になった「スキーを履いた医者」は、そう願っている。(笠井正基)