冗談を交えながら、高校野球の思い出を語る斎藤雅樹さん=2018年5月31日、東京・東京ドーム
斎藤雅樹さん(巨人1軍投手総合コーチ)
過去最多700試合をライブ中継 バーチャル高校野球で全試合中継の大会も
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野球は川口リトルリーグで始めました。仲間は中学校で一度散り散りになったけれど、連絡は取り続けていました。どの高校に進学しようか考えている時、リトル時代の事務局長の故・内山清さんが市立川口高の監督をやっていると。それで「みんなで市立川口から甲子園に出よう」ということになった。合格に向けて一生懸命勉強しましたよ。
内山監督はあまり怒らず黙って見ていて、時にアドバイスをくれる感じで、楽しく野球をやれました。
だから、僕にはプロで指導者になってもガンガン怒るという構えは備わっていない。内山監督がそうだったように基本に忠実に、長所を伸ばす。横着なプレーをした時は怒ります。
当時は、上尾が本当に強くてね。だから、僕ら野球部は8月上旬、甲子園をやっているはずの時期に東京・新島への旅行計画を立てていたくらいです。
それが1982年、3年夏の埼玉大会途中で上尾が負け、大きなチャンスかもしれないと思い始めました。ただ、決勝は4連投目だった。雨で中止にならないか、でも順延したらもっと投げられないとも思いました。投げ始めたら意外に平気だったけれど、八回裏に熊谷の江頭靖二投手に勝ち越し打を打たれた。予定通り、新島に行きましたけどね。
決勝で負けた時、遅れてスタンドにあいさつに行った記憶があるので、ベンチで一人泣いたのかな。ただ、1年生の夏に投げさせてもらい、四球だったか自分のミスで負けた時の方が泣きました。3年生に申し訳ないとの気持ちが強くて。人目をはばからず泣けるなんて、なかなかない。高校野球の特権ですよ。
今春3校統合し、川口市立になりました。僕らは胸のチーム名「市立川口」をローマ字から漢字にしたけど新校はまたローマ字に。でも縦じまは変わらず、内山監督がタイガース選手だったからか、伝統が引き継がれていると感じます。
年1回、今も川口で集まります。僕に合わせてくれてキャンプ前の1月、いつも同じメンバーで同じ話で……楽しいですよ。
高校野球は仲間とやる楽しさ、一緒のことを分かち合うことを味わい、勝つことだけでなく、いろんなことを学んで欲しい。それだと甲子園には行けないのかもしれないけれど。(堤恭太)
さいとう・まさき 埼玉県川口市出身。市立川口3年の1982年第64回全国高校野球選手権埼玉大会で準優勝。卒業後、ドラフト1位で巨人入団。上手投げから横手投げに変えて開花し、89年に11試合連続完投勝利のプロ野球記録を樹立。通算180勝96敗11セーブ。2016年に野球殿堂入り。同年に日本代表監督で第1回U23(23歳以下)W杯で優勝。現在、巨人1軍投手総合コーチ。