春日井商元主将の永江雄輔さん=2018年6月22日、東京都北区田端新町2丁目
春日井商(西愛知)のグラウンドで開かれた蒲郡との練習試合。夏の大会を2週間後に控え、両チームとも一つひとつのプレーや飛び交う声に熱がこもる――。
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よくある高校野球の光景だが、春日井商の選手たちにとっては違った重みを持つ。松本聖基主将(3年)は言う。「永江先輩がいたから、僕らは今、ここで野球ができている」
その先輩は、4年前まで主将を務めた永江雄輔さん(21)。2012年秋、上級生がおらず、同期も辞め、グラウンドで練習する選手は当時1年生の永江さん1人だった。
「お前が辞めたら廃部」といううわさも聞こえてくるように。そうはさせまいと、永江さんは当時の監督らと練習を続けた。その姿に胸打たれた野球経験者の教諭らが練習を手伝ってくれるようになり、同じく人数不足の瀬戸北総合の練習や練習試合にも参加させてもらえるようになった。
部を存続させたい理由があった。1年の夏、当時の3年生の最後の試合で、外野フライを落球し、負けにつながってしまった。先輩たちへ成長した姿を見せるために、そして高校野球がやりたくて入ってくる後輩たちのために、一人奮闘していた。
13年春、現在の山口浩人監督(35)が赴任。3時間近く1人で黙々とティー打撃に取り組む永江さんを見て、勧誘に力を入れた。それが実って下級生が入部し、永江さんが3年生の夏、春日井商は単独チームで夏の大会に出場。初戦で敗北したが、チームにとっては「最高の夏」だった。
現在、部員は約30人。山口監督は毎年、新入生にまずこう伝える。「春日井商で野球ができるのは、永江という先輩が部をつないでくれたからだ」。松本主将も「野球部がなかったら、この仲間と野球ができているかわからない。永江さんの頑張りに恥じない戦いをしたい」。
永江さんは今、東京都内でトレーナーをしている。冬のオフシーズンにグラウンドに顔を出し、後輩たちの姿を見ると、こう思う。「自分が多くの人に支えてもらった。恩返しができたかな」
「大事なのは、やる気」
先輩たちが引退してごっそり抜けると、残ったのは、2人だけになった。
標高532メートルの山あいにある新城東作手(東愛知)。生徒数は男女合わせて100人未満で、部員確保が毎年の悩みだ。2年前の新チーム発足時、部員は、当時1年の山本流聖君と竹生裕貴君だけだった。
それでも練習はみっちりやった。平日は監督と部長が投手を務め、ひたすらバットを振った。土日は約40キロ離れた蒲郡市の三谷水産まで通い、守備やチーム練習に励んだ。合同チームながら試合に勝つこともあり、充実した日々だった。
2年生になった翌春、後輩が7人入った。2人は「単独で試合ができる」と喜んだ。ところが基礎練習でつまずく部員が多く、練習は雑談が目立つように。試合も敗戦続きで、主将になった山本君は「部の模範にならなきゃと思いながらも、どうしていいか分からなかった」。
部員2人ながら練習に明け暮れた前年。「ただ楽しめばいい、だけじゃない、結果を出さなきゃいけない」と真剣に練習し、得られた喜び。後輩にもそれを味わってほしいと考えた。
新城東作手の野球部は、6割超の生徒が寮生活を送る。ある夜、寮での夕食後、山本君は後輩を自主練習に誘ってみた。最初は参加者が少なかったが、次第に増え、ほぼ全員が参加するように。試合に勝つために何をすれば良いかを考え、普段の練習態度も変わってきた。
最上級生となって迎えた4月、三谷水産との練習試合。3―1で約1年ぶりの白星をあげた。竹生君は17奪三振。山本君は通算10本目となる2点本塁打を放つ活躍を見せた。
夏の大会には12人で挑む。東愛知大会では最も少ないが、山本君、竹生君の思いは同じだ。「部員の少なさは関係ない。大事なのは、やる気だ」