阪神・淡路大震災から24年になる17日、かつて店舗の約9割が全焼した神戸市長田区の大正筋商店街で、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町を応援する催し「復興メモリアル」が開かれる。長田では焼け跡に再開発ビルが林立したが、にぎわいが戻らない。教訓を東北へ、と商店主らは草の根の交流を続けている。
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「闘ってきた経験と思いを伝えたい。商店街は自分たちのものだ」
大津波から6年後の2017年3月、かさ上げした造成地に新装オープンした「南三陸さんさん商店街」。かまぼこ店を営む及川善祐(ぜんゆう)さん(65)は、長田の大正筋商店街で茶販売店を営む伊東正和さん(70)にかけてもらった言葉を胸に刻む。
伊東さんは大津波の約2カ月後に南三陸を訪れ、商店主らの「福興市」を手伝った。その後も数カ月ごとに足を運び、これまでに12回を数える。
伊東さんの店は24年前の震災で全焼した。「家と仕事をなくし、家族を守っていくので精いっぱいだった」。行政主導で進んだ復興は焼け跡に中高層の再開発ビルを建て、低層部に店が入るというものだった。
仮設店舗を経て、再開発ビル群で復活した大正筋商店街に再び店を構えたときには、震災から9年近くが経っていた。周囲にはスーパーやコンビニが進出。大型事業だったため、店の管理費や固定資産税などの負担も重くのしかかった。
「10年先、20年先にどんな街をつくっていくのか。行政ではなく、自分たちで考えないと」「街づくりで絶対に背伸びをしたらあかん」。南三陸の商店主らに自らの経験を語るのは、「同じ思いはしてほしくない」と願うからだ。建物の維持管理費はできるだけ少なく、お客さんが店と店を巡りやすいような構造に、と具体的に伝えてきた。
南三陸商工会長の山内正文さん(69)は「震災を経験している伊東さんの言葉は精神的にも大きかった。自分のことのように心配してくれた」と感謝する。木造平屋6棟に28店舗が入る南三陸さんさん商店街は、開業1年5カ月で、来場者が100万人を突破した。
今月17日の長田での「復興メモリアル」では、南三陸の復興の歩みを振り返る写真パネルを並べ、海産物やのり、かまぼこなどの特産品を売る。正午に黙禱(もくとう)し、つみれ汁を振る舞う。伊東さんらは3月には南三陸に赴き、長田名物のそばめしを作る。
「長田では形あるものが焼けてなくなり、南三陸の街は津波で流された。ふだんは見えないけれど、なくなったからこそ気づいたことがある」と伊東さんは言う。「人のつながり。それが本当は生きていくなかで一番大切なことだなって」
■新庁舎 にぎわい生む起…