小泉純一郎元首相=長谷川唯(朝日新聞出版)撮影
「(政界は)運、不運だ。いずれ総理になるとみんなが思っていた加藤さんがならなくて、一番遠い私がなった」――。小泉純一郎元首相が14日、今月9日に亡くなった元衆院議員の加藤紘一・元自民党幹事長について語った。朝日新聞の取材に答えた。
加藤紘一・元自民党幹事長が死去 00年に「加藤の乱」
小泉氏は加藤氏と当選同期。山崎拓氏(元自民党副総裁)と3人で1991年、反竹下派支配を掲げて「YKK」を結成した。小泉氏は「YKKを作った時から、あの人はいずれ首相になるとみんな思っていた。加藤さんが一番(首相に)近いというのは衆目の一致するところだった。政界というのは不思議なところで、一番遠いと思われていた私がなった」と語った。
加藤氏は2000年、野党が提出した森喜朗内閣への不信任案に同調しようとした「加藤の乱」で挫折。首相レースから大きく後退した。当時森派会長だった小泉氏は、森首相らに加藤氏の動きを伝える役回りを果たした。
小泉氏は「(不信任案同調は)本当なのかと、加藤さんに真意を確かめたら、そのつもりだと言うから、『俺は断固として止めるから』と言った。そして、つぶすのに本気になった」と明かした。(編集委員・秋山訓子)