新年の一般参賀に姿をみせた三笠宮さま、秋篠宮家の佳子さま、眞子さま=2015年1月、皇居
天皇の退位をめぐる議論は70年前、皇族や政治家ら体制内で指導的地位にあり天皇制を支持する論者から、たびたび提起された。日本の敗戦を受けて、昭和天皇の戦争責任問題に端を発したものだった。27日に逝去した昭和天皇の末弟・三笠宮さまも当時、天皇譲位についての意見を表明していた。
特集:三笠宮さま逝去
1946年11月、皇室典範改正を審議していた枢密院に対し、三笠宮さまは「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」と題する意見書を提出。「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法第十八条の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』という精神に反しはしないか?」と主張。天皇が皇室会議に対して譲位を発議できるとの規定を加えるよう提案した。
翌12月、天皇の譲位を認めない皇室典範改正案について「ふにおちない点もある」などと発言し、朝日新聞などに掲載された。「自由意志による譲位を認めていない、つまり天皇は死なれなければその地位を去ることができないわけだが、たとえ百年に一度ぐらいとしても真にやむをえない事情が起きることを予想すれば必要最小限の基本的人権としての譲位を考えた方がよいと思っている」と語っている。
当時の心境について三笠宮さまは、84年出版の「古代オリエント史と私」で「最大の問題は皇族という身分に止まるかどうか。天皇退位の問題や戦争責任の論議などもあり、幾夜も、幾月も熟考した」と振り返っている。