川本輝夫さん(右)。新たに出る環境庁事務次官通知をめぐり、「国で補償費の面倒をみるかわりに(認定申請者の)棄却処分、つまり患者の切り捨てを進めようというものだ」と山田久就環境庁長官に詰め寄った=1978年6月23日、東京都
水俣病の原因企業チッソへの公的支援が決まった経緯を記した内部メモの存在を確認したチッソ史研究者の矢作正氏(65)=東京=が7日、その概要を発表した。チッソ救済の一方、患者認定審査が厳格化され、多くの認定申請者が棄却されたと指摘した。
矢作氏は元浦和大准教授で「技術と社会」資料館(東京)館長。チッソ関係者の許可を得て同社保管資料を閲覧し、メモを書き写した。熊本県水俣市で7日始まった恒例の水俣病事件研究交流集会で報告した。
メモは1977~89年に副社長を務めた久我正一氏(故人)がまとめた「補償金県債実現の経緯」。作成時期は93年3月とみられる。70年代後半、チッソは患者への補償で経営が行き詰まり、関係省庁などに支援を求めて陳情を重ねた。久我氏らが接触した内閣官房の複数の高官は、公的支援を検討する一方、補償費の増大を抑えようと、患者との間で結んだ補償協定の改定や破棄をチッソに繰り返し注文。県知事には「補償金支出の歯止めが欠落しているとして、(患者)認定について厳しい姿勢を求めた」と記されている。
矢作氏は、これらの経緯がメモ…