震災に涙するミッフィー。ブルーナさんが直筆のメッセージを添えて日本に送ってきた(C)Mercis bv
ブルーナさんはいつも、子どもたちの笑顔を心の中に思い浮かべていた。1955年に出版された絵本「ちいさなうさこちゃん」(第1版)は、幼かった長男に聞かせてあげた話がもとになって生まれた。69年の絵本「こいぬのくんくん」は、長女から「犬のお話もかいて」とせがまれてかいている。
ディック・ブルーナさん死去 89歳「ミッフィー」作家
わが子だけでなく世界中の子どもたちを包み込むような、あたたかで優しい絵本やイラストを描き続けた。その原点には、平和への強い願いがあった。
10代半ばで第2次大戦を体験し、祖国オランダはナチス・ドイツに侵攻された。戦時下の冬のある日、ユダヤ人が冷たい湖を泳いで逃げるのを見て、憤りと悲しみを覚えたという。この体験が「ぼくの人生を決定づけたのかもしれません」と振り返っていた。
戦争が終わると、ピカソやマティスらの自由な作風にあこがれ、出版社の後継ぎでありながら画家を志した。猛反対した父と妥協するかたちで、1951年に父の出版社に商業デザイナーとして就職した。
本の装丁やポスターを手がけ、絵本もかいた。絵本「ちいさなうさこちゃん」が日本で翻訳され、国外でも知られ始めた。そのころ赤、青などわずかな色の色づかいと簡略な輪郭で描く手法を確立し、国内外のデザイン賞を相次ぎ受賞した。
出版社を辞めて独立してからは、仕事場でたった一人で描く仕事のスタイルを守り通した。世界的な名声を得ても、アシスタントを雇うことなく、構想から仕上げまで、かたくななまでに自分ひとりの手でやり遂げるその姿は、日本の職人技を思わせた。
飢餓、貧困、病気から子どもたちを守ろうと訴えるポスターも描き、東日本大震災では涙を流すうさこちゃんのイラストで日本の子どもたちを励ました。
生涯にかいた絵本の、どの主人公もまっすぐに読み手である子どもたちを見つめている。子どもたちを怖がらせるストーリーは一作もない。(森本俊司)