西武ライオンズの浅村栄斗選手=埼玉県所沢市のメットライフドーム、飯塚悟撮影
埼玉西武ライオンズのキャプテンとして、5月にプロ通算100本塁打を達成した浅村栄斗選手(26)。大阪桐蔭時代、1番打者、遊撃手として夏の甲子園の舞台に立ち、全国制覇を果たした。176チームが参加する第99回全国高校野球選手権大阪大会が8日、開幕した。今の球児たちに伝えたいメッセージとは――。
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決して、まじめな高校球児ではなかったと思います。野球は好きだったけど、結果が出ず、厳しさばかり感じていました。冬場に取り組んだ、外野(レフトとライトの間)を何度もダッシュで往復する練習は特につらかった思い出です。
一つ上の先輩に、中田翔選手(北海道日本ハムファイターズ)がいました。その時の3年生のチームと比べ、僕らの代は「歴代で最も打力が弱い」と、周囲に言われていました。
特に悔しかったのは、2年生秋の大阪府予選準々決勝でPL学園と戦った試合です。0―9で、七回コールド負け。どんなボールも完璧に打たれました。「自分たちは弱い。このままじゃだめだ」。レベルの差を痛感しました。
この試合の負けが、2008年夏の甲子園優勝につながったと今は思います。「このまま一つ上と比べられ続けるのは悔しい。もっと強くなって甲子園に出る」。チームでそう言い合って、練習するようになりました。
大阪大会で勝たないと、甲子園には行けない。大阪は強くて、いいチームが多いし、試合数も多い。
自分が2年生の時、中田選手たち先輩が大阪大会の決勝で、金光大阪に敗れました。僕もグラウンドにいました。「なんで大阪のチームに入ったんやろ」と思ったほど、大阪大会を勝ち抜くのは、甲子園で勝つよりも難しいと実感しました。
3年生の夏、大阪大会準決勝で箕面東と対戦しました。1―1の同点で延長戦になり、十回、仲間のホームランでサヨナラ勝ちしました。直前の九回、一塁走者を背負った場面で二塁打を打たれ、勝ち越しのピンチを迎えました。あと一本が出ていたら、負けていたと思います。
そんな接戦を制して大阪大会を優勝できたから、甲子園でそのまま勢いに乗れたのだと思います。甲子園は人生の転換点でした。あの時、活躍できていなかったら、今の自分はいません。
印象に残っているのは、2回戦の金沢(石川)戦です。当時は遊撃手で、お隣の三塁手は後輩でした。
1点を追いかける展開で、後輩はチャンスでの凡退が続いていました。グラウンドでふと後輩を見ると、今にも涙がこぼれ落ちそうな顔をしていました。「なんとかしよう」。そう思って、八回の打席に立ちました。
バットを思いっ切り振ると、ホームラン。その一本は、今でも手に感触が残っています。内角の甘い直球を左翼席に打ちました。ベンチに戻ると、三塁手の後輩が、泣きながらぎゅっと抱きついてきましたね。
球児だったときも、プロになった今でも、「しっかりバットを振らないと、何も始まらない」と思っています。高校時代、周囲はすごい選手ばかり。バットを振れないと、試合には出られません。いつ、どんな時も、バットを振ることが、自分の未来につながると思っています。
大阪大会に臨む球児のみなさんには、悔いを残さないよう、プレッシャーに打ち勝ってほしい。「日本一難しい予選を戦うんだ!」という自信を持ってほしいです。(聞き手・半田尚子)
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〈あさむら・ひでと〉 1990年生まれ、大阪市東淀川区出身。小学4年生の時に兄の影響でソフトボールを始める。私立大阪桐蔭高校(大阪府大東市)に進学。2008年夏の第90回全国高校野球選手権記念大会に出場し、打率5割超で優勝に貢献。同年秋のドラフト会議で西武に3位指名されて入団した。ベストナインを一塁手(13年度)、二塁手(16年度)で受賞。昨秋、チームのキャプテンに指名され、今年5月にはプロ通算100号本塁打を放った。182センチ、90キロ、右投右打。今季から背番号3。