先導役を務めた名護高の山下明弘君=8日午前、阪神甲子園球場、加藤諒撮影
(8日、高校野球)
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名護(沖縄)の山下明弘主将(3年)が、49代表の入場行進の先導役を務めた。名護は沖縄が日本に復帰した1972年に春夏の甲子園に連続出場。山下君は復帰45年の節目に、沖縄の高校生として初めて大役を果たした。
開会式後、山下君は「緊張するかと思ったが、周りの手拍子や声援で気持ちよく歩くことができた」と話した。
名護は復帰前、琉球政府立高校だった。選抜大会に向け、選手はパスポートを携えて海を渡った。その年の5月15日、沖縄は日本復帰。夏には沖縄県立高校として甲子園の土を踏んだ。
名護は今夏、初戦で逆転負け。山下君は野球への思いがくじけかけた時、先導役の指名を知らされた。まっさきに報告した同級生らは「俺らの分まで楽しんできて」と祝福してくれた。
本土復帰前後に名護が甲子園出場していたことは、入学前に野球部OBの父、明生さん(50)から聞いていた。先導役が決まった7月末、明生さんの時代の監督で、甲子園出場時の外野手だった宮里淳さん(63)を訪ね、パスポートを持っていったことや、春夏とも初戦で敗退したものの、夏にはチームの選手が本塁打を放った話を聞いた。夏の大会で甲子園の土を沖縄に持ち帰る選手の映像も見た。「先輩たちが築いた歴史があったから、自分が甲子園に立てる」。気が引き締まった。
同居する90代の祖母は、沖縄戦で右手を失う大けがをした。周囲には沖縄戦や復帰前を記憶する大人も多いが、それでも沖縄の歴史を深く考えたことはなかった。先導役をきっかけに、歴史を伝えられる大人になりたい、と思い始めた。
開幕が1日延びた今大会。選手を先導する山下君が足を高く上げて行進した。その姿を、72年当時のメンバーらがスタンドから見つめた。一塁手だった大城衛さん(62)は「私たちは激動の時代だったが、野球をやらせてもらった。山下君は見ていても堂々と歩いていて感激した。大役を果たしてくれてうれしい」と語った。(柏樹利弘)