第100回全国高校野球選手権記念大会に初出場する三重代表の白山高校(津市白山町)。ひときわ喜ぶのが、白山OBでプロ野球中日でもプレーした旭(旧姓奥田)和男さん(67)だ。引退後も野球に関わる旭さんは、後輩たちにエールを送る。
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旭さんは三重大会決勝があった7月25日、移動中の車内テレビで歓喜を味わった。「高校時代は甲子園なんて夢のまた夢。決まった時は、鳥肌が立ちました」
白山町の隣町、津市一志町出身。白山では1年生から試合に出た。「50人くらい入部したが練習が厳しく、最後は5人ほどになった」。強豪の三重高校などに負けじと練習に励んだ。山道を往復10キロランニングして、帰りは暗闇を怖々走った。部費は少なく、切れたボールの糸を、教室で縫い直したという。
3年夏は、1968年の第50回記念大会だった。投手の旭さんは1回戦で14三振を奪って快勝したが、2回戦は四日市商に2―5で敗れた。それでも速球派投手として注目され、社会人野球を経て、71年のドラフト2位で中日に入った。
「高校時代に取っ組み合いのけんかをしたチームメートが、お祝いの手紙をくれたのがうれしかった。プロでも高校時代のような負けん気で戦った」
中日では2軍で結果を残した時期もあったが、けがに苦しみ、1軍出場は果たせず、79年に引退した。その後、ミズノに就職。中日担当として長年、選手の用具の手配などに携わった。2年前からはみそかつ店「矢場とん」(名古屋市)に勤める傍ら、少年野球の指導に関わる。
白山は一時部員不足に苦しみ、2007~16年は初戦敗退が続いた。13年に東拓司監督(40)が就任後、徐々に部員が増え、昨夏は11年ぶりの勝利を挙げた。
旭さんは今年6月、高校の同窓会で白山町を訪ね、母校の変化を感じた。「野球部がAチームとBチームに分かれるほど、人数がいると聞いて驚いた」
ちょうど50年前、甲子園のはるか手前で破れた夢を、後輩たちがつかんだ。元プロ投手の目線で「決勝で先発した岩田剛知投手は力強い投球で、九回に投げたエース山本朔矢投手はテンポが良い」と評価する。
優勝後、母校を訪ね「白山の歴史を何ページも塗り替えてくれた」と激励した。「100回大会出場は何かの巡り合わせ。甲子園ではさわやかでひたむきなプレーを見せ、常勝チームになってほしい」と期待を寄せた。(広部憲太郎)