「今後も安全構築への努力が不可欠だ」と語る浅野弥三一さん=兵庫県尼崎市
JR宝塚線(福知山線)脱線事故の遺族らでつくる「4・25ネットワーク」が、事故の翌年から毎年当日に開いてきた「追悼と安全のつどい」を、発生から11年となる今年は取りやめた。中心を担ってきた浅野弥三一さん(74)はこれまでの活動で「JR西日本の安全再構築への道筋がついた」と評価。「10年で一区切りにしたい」と休止を決めた。
浅野さんは事故で妻の陽子さん(当時62)と妹の阪本ちづ子さん(当時55)を亡くした。小さな都市計画コンサルタント会社を30年一緒に切り盛りし、社員から「おかん」と慕われた陽子さん。「これからは仕事のペースを落とし、夫婦の時間を増やそう」。そう話し合っていた矢先の事故だった。
現実を受け止めきれず、山道を運転中、「楽になりたい」と前を走るダンプカーに突っ込もうとしたり、庭先で陽子さんの幻影を目にして「帰ってこいよ」と呼びかけたりしたこともあった。それでも、事故原因の解明が家族の死に報いることになると、「恨みつらみ」を封印。JR西と対話を始めた。