トルコのクーデター未遂をめぐる相関図
トルコ軍は1960年、71年、80年と過去3回、クーデターなどで権力を奪取した。国是とする「政教分離」の危機、政党政治の混乱、経済の長期低迷など、軍は「このままでは秩序を維持できない」と判断した場合に実力を行使し、混乱を治めた上で民政に移管させる役割を担った。
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トルコでクーデター未遂
1923年のトルコ共和国建国以来、「建国の父」ケマル・アタチュルクが率いた軍は、厳格な政教分離で公の場から宗教色を排除する世俗主義など建国の国家原則の「守護者」を自任する。世俗主義は憲法にも明記された国是だ。
ところが、2002年にイスラム保守の公正発展党(AKP)政権が発足。03年に首相になったエルドアン氏は、政治に介入しつづけた軍の力をそぐ闘争に着手し、両者の緊張は一気に深まった。
AKP政権は国民の支持を得て長期安定政権を維持し、トルコは中東屈指の経済大国に成長。エルドアン氏自身も14年8月、トルコ初の直接選挙で大統領に当選した。エルドアン氏は国民の高い支持を背景に、自分に従わない軍幹部の追放に成功。軍が政治介入できる力は大きく弱まったとみられていた。
AKPの事実上のリーダーとして実権を握るエルドアン氏は近年、公の場でもイスラム重視を語るようになり、世俗主義に反するとの批判を受けるようになった。こうした状況を危惧した軍の一部が、世俗主義の徹底を目指して、今回のクーデターを企てた可能性がある。
トルコの地元報道によると、クーデターを試みた軍の勢力は、エルドアン氏の政敵で米国に亡命中のイスラム教指導者ギュレン師が提唱する「ギュレン運動」に傾倒していたと、閣僚らは主張している。だが、実際にどのような関係だったかは分かっていない。
ユルドゥルム首相は16日、ギュレン師が首謀者だと非難。一方、AFP通信によると、ギュレン師は「(クーデターの試みに)関連して非難されることは大きな侮辱だ。そのような非難は断固として否定する」と述べた。
AKP政権発足当初、エルドアン氏はギュレン師とイスラム重視で一致。軍の政治的影響力の排除などで同師の協力を得た。だがエルドアン氏が強権ぶりを発揮するのに伴い、ギュレン師は離反したとされる。
13年には両者の対立は決定的になり、エルドアン氏はギュレン師を「国を乗っ取ろうとしている」と非難した。トルコ政府は昨秋、国家転覆を企てているとしてギュレン師の団体を「テロ組織」に指定した。(イスタンブール=春日芳晃)
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〈ギュレン運動〉 米国に亡命中のイスラム教宗教指導者ギュレン師を中心とする運動。公の場から宗教色を排除する世俗主義が国是のトルコで、世俗主義とイスラム教は矛盾しないとする穏健な思想を持つ。公的機関でのスカーフの着用や酒類販売の規制強化など宗教色を前面に出すエルドアン政権とは対立関係になった。