上空から見た擂鉢山。戦中に受けた米軍の艦砲射撃や侵食で崩れてきているという=硫黄島上空
太平洋戦争の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)で25日、日米合同の追悼式(日米の両硫黄島協会主催)があった。両国の退役軍人や遺族、政府関係者ら約300人が出席し、3万人近くに上った戦没者を追悼した。
同協会の寺本鐵朗会長は「戦史にまれな壮烈な戦いも近年では世代も変わり、徐々に風化しつつあることを憂う。私たちは後世に語り継ぐ責任と義務がある」とあいさつ。米側協会のノーマン・スミス会長は「日米両国は太平洋の両側から、これまで以上に日米の戦士らの勇気を尊敬し、見習うべきだ」と述べた。
日本側の出席者約130人はこの日早朝、チャーター機で羽田空港を出発。式典後は、島を巡拝した。集団埋葬地や砲台の跡などをめぐり、硫黄島協会員が「ここで集中砲火を浴びた」などと説明するのを、熱心に聞いていた。石碑に水を掛け、手を合わせた。
戦傷者の手当てに使われた島北部の「医務科壕」には、朽ちたやかんや水筒のような破片が残っていた。数メートル進むごとに、気温がぐっと上がり、湿度も高くななった。参加者からは「サウナのよう」「眼鏡が曇って見えない」などの声が上がり、地下壕を拠点に戦った日本兵の苦しさに思いをはせていた。(下司佳代子)