掘り出された永保橋の親柱=2018年6月29日、兵庫県芦屋市松浜町
80年前の阪神大水害で流された兵庫県芦屋市の橋の石柱が、南南東に約500メートル離れた市内の住宅の庭で発見された。市は29日、調査のため柱を掘り出した。
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阪神大水害とは
1938年7月3~5日、六甲山系を襲った豪雨が土石流を引き起こし、ふもとの市街地に土砂や木が流入。国土交通省によると、神戸市を中心に阪神間の死者・行方不明者は695人、流失や埋没、全半壊など建物被害は11万9895戸に達した
阪神大水害は1938年7月の豪雨による土石流や河川の氾濫(はんらん)で、神戸市や芦屋市などで約700人の死者・行方不明者を出した。水害から80年を迎えるにあたり、芦屋市が当時を知る市民から情報を募ったところ、同市松浜町の三崎嘉禧(よしき)さん(91)から石柱を保存していると連絡があった。
水害後、流れ着いた柱を保管
石柱は、芦屋川にかかっていた石造りの「永保(えいほう)橋」の親柱で、「永保」の部分で折れている。六角柱の花崗(かこう)岩製で高さ42・5センチ、重さ約66キロ。三崎さんの父、嘉久治(かくじ)さん(故人)が、大水害後、自宅前に流れ着いた柱を保管していた。阪神大震災の後、庭の整備をする際に嘉禧さんが現在の場所に埋めていた。
1884年の「芦屋村誌」によれば、当時の橋は長さ約43メートル、幅約3メートルの石造り。大水害で損壊して改修されたとみられるが、1960年に現在の国道43号を建設する際に取り壊された。現在はバス停の名に残っているだけだという。
阪神大水害を経験した三崎さんは、学校に行く途中、猛烈な雨が降っていたのを覚えている。自宅も浸水し、2カ月ほど親類の家に身を寄せた。「大水害でこの橋が折れたのは事実で、すごいパワーだと思う」。芦屋市の担当者は「当時の災害の大きさ、プロセスを物語る貴重な資料で、今は存在しない橋の一部が残っていた歴史的資料としても重要。記録を残して後世に伝えていきたい」と話している。(石田貴子)