プロ野球ヤクルト元投手の伊藤智仁さん(47)は、花園高校(右京区)のエースだった。京都大会屈指の好投手として注目されたが、けがに泣かされた。プロでも1年目からけが続きだった。球児は頑張りすぎてしまいがちだが、自らの経験と反省から「積極的に体を休める勇気と習慣も大切」と強調する。
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――主将でエースだった夏は悔しい結果でした。
第70回の京都大会(1988年)4回戦。右京区の京都商(現京都学園)に1―7で敗れました。勝てると思っていたのですが、力を出しきれませんでした。初回から打ち込まれました。試合終了。点差も開いていたし、仕方がないという思いでした。
大会前の6月、腰を痛めました。引っ張っていかないといけないのに、思い通り投げられず焦っていました。状態が上がらないままの大会でした。万全の状態でないと上位にいくのは難しい。体調を整えることの大切さを学びました。
――どんな主将だったのですか。
下級生に無駄なトレーニングをさせない。くだらない上下関係はやめる。主将となり、みんなに言っていました。けがにつながる練習や行為はいけないと思っていました。
中学までは楽しく野球をしていました。でも、高校では甲子園をめざし、チームのための努力が求められます。しんどいこともたくさんありました。当時の仲間とはいまも食事に行き、あのころの練習がどうだったとか話します。一生つきあえる仲間ができました。
――けがをせず、体調を維持するにはどうしたらいいのですか。
高校時代の連投で肩を壊し、プロになってもそのまま去る選手は少なくありません。私自身、何人も見てきました。高校時代の試合や練習のやり方に問題があるんです。
試合は週1回ほどにし、回復の時間をもつことも必要です。練習も週1、2日の休養日が必要です。高校生の体はまだ発展途上。体を休めながらするべきです。医学的な知識も踏まえて練習しないと、大きなけがにもつながります。
努力を続ける高校野球はすばらしいものですが、やり方を変えるときがきています。指導者も大会運営者も一緒になり、どう変えるかを具体的に話し合うべきなんです。
ぼくもプロになってけが続きでした。1年目で結果を残し、首脳陣に信頼されたい。打たれるくらいなら故障してもいいと思い、すべての力を出して投げていました。そう思うのは当然のことですが、右ひじ靱帯(じんたい)をけがしてしまいました。
ぼく自身の反省も踏まえ、高校球児のみなさんに伝えたい。けがをしないようにし、体調管理をしっかりしてください。無理を続けた結果、大会で思い通りのパフォーマンスができないと悔いが残ります。体を大事にすることは本当に大切なんです。(聞き手・興津洋樹)
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いとう・ともひと 中京区出身。花園から三菱自動車京都に入社。1993年にドラフト1位でヤクルトに入団。150キロ超の速球と、「直角に曲がる」とも言われた高速スライダーで新人王を獲得した。ひじや肩のけがに苦しみ続け、2003年に引退。プロ通算37勝。翌年から昨年までヤクルトの投手コーチ。今シーズンから独立リーグ「富山GRNサンダーバーズ」の監督を務める。