龍谷大平安高(京都)が、大会第7日の第1試合で鳥取城北をサヨナラ勝ちで下し、甲子園通算100勝を飾った。勝利後、原田英彦監督(58)は人目をはばからずに涙を流した。
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夏3度の全国制覇を誇る古豪も、1980~90年代半ばまではほとんど甲子園に出られない時期を経験した。復活を託され、93年に就任した指揮官には、忘れられない出来事がある。
95年夏の京都大会初戦。1年生左腕の川口知哉(元オリックス)を先発させたが、2―5で南京都に敗れた。
試合が終わって球場を出ようとすると、関係者に止められた。「監督、正面から出ないでくれ。取り囲まれるぞ」。初戦敗退に怒った熱心なファンたちが、出入り口付近で待っていたのだ。
監督が高校3年の時もそうだった。京都大会で敗れると、バスが取り囲まれ、当時の監督が引きずり下ろされて連れていかれたのを覚えていた。
それでも、原田監督はその場に出ていった。
「1年生なんて先発させやがって!」「監督やめろ!」。予想通り、罵声を浴びせられた。
このとき、原田監督は血気盛んな30代半ば。ファンと言い合いになった中で、1人の男性からこう言われたのだという。
「平安が好きなんや。平安が勝つところが見たいんや」と。
監督は宣言した。「おれが一番の平安ファンや。おっさん、見とけ! おれが甲子園に連れてったる!」
監督は小学生の頃から平安ファン。4年生の時には白いユニホームにマジックで「HEIAN」とマジックで書き、毎日のように自転車で平安の練習を見学に行っていたほどだ。
ファンとの口論から2年後の97年、川口を擁して甲子園準優勝を果たすと、平安は再び、「京都の顔」になった。2014年には初の選抜優勝。そして、この日の100勝目は、監督就任後の27勝目となった。
「先輩方が積み重ねた数字をつないでいかないと。平安は終わらない。強くないといけない」。止まらない涙には、深い深い「平安愛」が詰まっていた。(山口史朗)