日本から1万キロ以上離れたメキシコ中央部の街レオン。ここを本拠とするプロ球団でマウンドに立つ1人のベテラン右腕がいる。
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久保康友選手(38)。かつてはプロ野球・阪神などでプレー。今季からメキシカンリーグ・レオンブラボーズに加入し、先発ローテーションの一角を担う。
久保さんは1998年、北大阪大会を制した関大一のエースだった。家族を日本に残し、単身で海を渡った久保さんはこう言って笑う。「野球を続けているからこそ、メキシコで暮らすなんて経験もできる。野球って、おもしろい」
100年を超える関大一野球部の歴史のなかで、久保さんがチームを引っ張った98年はひときわ輝きを放つ。選抜大会は松坂大輔投手を擁する横浜(神奈川)に敗れ、惜しくも準優勝。初出場した夏の全国選手権は8強入りを果たした。その中心にいた久保さんは、社会人野球を経てプロ入りし、第一線に立ち続けてきた。「甲子園に出場できたからこそ、人生の中で『野球』という選択肢ができた」と振り返る。
昨年末から年始にかけ、久保さんは自主トレのため関大一のグラウンドへ通った。いま、関大一を率いるのは一学年後輩で共に甲子園でプレーした川島史裕監督(37)だ。あのころを知る川島監督は、現在のチームの熱量の低さが気になっていた。久保さんの訪問で「何かが変わればいい」と思っていた。
「これがプロなんだ」。投手の熊谷亜咲君(3年)は、久保さんの姿を遠くから見つめていた。入念に時間をかける練習前の準備運動、キャッチボールで軽く投げているように見えるのにグンと伸びる球に驚いた。
その日から、熊谷君は久保さんの姿を思い浮かべながら練習に取り組むようになった。「本当に偉大な先輩だと感じた。けれど、自分たちも甲子園に行けるかも、とまでは思えなかった」。チームの練習意欲も高まったが、長くは続かなかった。甲子園に行くなんて夢物語なのでは――。
「でも僕だって、甲子園に行けると思って関大一に入ってきたわけじゃないんですよ」。久保さんは続ける。「ただ目の前の試合に勝つために全力で練習する。それで結果的に甲子園に行けてしまったのが僕たちの代。強豪校が早めに敗退するという運もあった。後輩たちには先のことは考えず、目の前のことを全力でやりきるということを大事にしてほしいな」
6月30日、新調したユニホームと背番号が川島監督から選手たちに手渡された。大学の硬式野球部と同じグレーから白へ。久保さんたちが甲子園で活躍した頃のデザインに戻す。部員たちに奮起してもらおうと川島監督が提案した。「甲子園を目指すなかで、何かに一生懸命に取り組むという経験をしてもらいたい」と願う。その経験こそが、社会に出た後の球児たちの人生を支え、豊かなものにしてくれると信じている。(山田健悟)