米自動車大手クライスラー(現フィアット・クライスラー・オートモービルズ〈FCA〉)のリー・アイアコッカ元会長が死去した。FCAが2日、明らかにした。94歳だった。米メディアによると、パーキンソン病による合併症を患い、ロサンゼルスの自宅で療養中だった。
クライスラーは石油危機後の1980年前後に倒産寸前に至ったが、ライバルのフォード・モーター社長から転じたアイアコッカ氏が再建に尽力。日本車の対米輸出に批判的な「日本たたき」の急先鋒(きゅうせんぽう)としても知られた。(ニューヨーク=江渕崇)
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1970~80年代に倒産寸前だった米自動車大手クライスラー(現フィアット・クライスラー・オートモービルズ〈FCA〉)を立て直し、米国を代表する経営者だったアイアコッカ・元クライスラー会長が死去した。米メディアによると、パーキンソン病に伴う合併症を患っており、ロサンゼルスの自宅で亡くなったという。
1960年代、米フォード・モーターでスポーツカー「マスタング」の開発を指揮。64年に発売されたマスタングは大ヒットし、現在も後継車が売られる世界的な名車となった。1970年に46歳の若さでフォード社長となったが、創業家出身の会長、ヘンリー・フォード2世と対立。78年に社長を解任され、ライバルのクライスラー社長に転じた。
当時は石油ショックで、燃費が悪い大型のアメリカ車の人気は急低下し、小型で経済的な日本車に押されていた。アイアコッカ氏は日本車の対米輸出攻勢を批判するとともに、米政府からの援助を引き出し、経営を再建させた。
「日本車たたき」の対日強硬論をぶつその政治力だけでなく、フォード時代と同様、クライスラーでもヒット車を生んだ。
それまで米国で主流だった大型の後輪駆動車に見切りをつけ、小型で低燃費の前輪駆動車「Kカー」に車種ラインナップを切り替えた。
84年には世界で初のミニバンといわれる「プリマス・ボイジャー」「ダッジ・キャラバン」を発売。こうしたヒット車で経営に勢いをつけ、87年には「ジープ」ブランドを持つ米アメリカン・モーターズ(AMC)を買収し、経営を拡大させた。
クライスラーを再建した手腕から、80年代には米民主党の大統領選候補としても待望論が出たほど。自伝はミリオンセラーになった。
92年にクライスラー会長を退き、93年にクライスラー役員からも退任していた。
アイアコッカ氏が去った後、クライスラーは98年に独ダイムラーと合併。しかし経営の融合はうまくいかず、07年にダイムラーはクライスラーを投資会社に売却した。08年のリーマン・ショック後にクライスラーは経営破綻(はたん)し、資産は伊フィアットが引き受け、「フィアット・クライスラー・オートモービルズ」となり、現在に至っている。