校舎横のグラウンドでエースが、キャッチボールをしていた。前日の練習試合での投球を受けた軽い調整のはずが、セットポジションから投げ込んだ。 ニュースや動画をリアルタイムで!「バーチャル高校野球」 「自分の体は自分にしかわからない。無理だけはするなよ」 八王子実践の監督河本(かわもと)ロバート(33)が見守りながら、後藤結人(ゆうと)(2年)に声をかけた。「フォームがしっくりこなくて」と返した後藤は約10球投げて、キャッチボールを終えた。 河本は今春の東京都大会後に監督に。過度な練習を求めず、体調を見極めながら練習計画を組む。国内外のプロ球団を渡り歩いた経験を生かして「けがをしない体づくり」を掲げる。 父が米国の元プロ野球選手で、母は日本人。日本で生まれ育った。八王子実践OBで、190センチ近い身長から140キロ中盤の直球を投げ込む本格派の右腕投手として2003年の西東京大会で8強入りした。大学野球を経て米大リーグ・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。海を渡った先で、体調管理の考え方の違いに気づかされた。 練習のブルペンで投げ込むのは50~60球程度と無理をしない。代わりに、捕手役に座ってもらってキャッチボールをするなど「投手勘」がにぶらない工夫をする。試合でも事前に決めた投球数に達したら降板する。「日本では『最初から全力でいけるところまで投げ抜く』とのイメージがあったので、けがをしないための調整方法は参考になった」と振り返る。 振り返ると大学時代、投げ込みは多い日で200球以上で、肩やひじはすぐに悲鳴を上げた。「監督にアピールしたい」との思いから、疲労を明かさずに登板した。幸い大きなけがはなかったが、「『もう投げられない』と思うところまで追い込んでいた。危ない体験だったかもしれない」。 米国でメジャー昇格は果たせなかったが、日本のプロ野球独立リーグや台湾プロ野球などで経験を積んだ。15年末に引退して翌16年春に母校に戻り、コーチを3年間務めてきた。 投手陣に過度な投げ込みをさせない。「高校生はまだ成長段階。けがをしたら何の意味もない」。スクワットやベンチプレスなど筋トレや、練習前後の間食など体づくりに力を入れる。後藤は昨春の入学時から5キロ以上体重が増え、直球も1年間で時速15キロ以上速くなり、6月の練習試合で144キロを出した。 練習での投球数は30~50球ほど。その分、河本が撮った動画を参考にフォームを固めたり、試合の場面を想定しながら時間をかけて1球を投じる。後藤は「疲労がある時はすぐに相談にのってくれる。集中力を切らさず、安心して練習に取り組める」と感謝する。 試合での球数制限を巡っては、日本高校野球連盟が設けた有識者会議などが議論している。河本は「各校の事情は異なり、難しい問題。ただ、野球を長く続けたい子はたくさんいる。『今の価値』だけでなく、将来を見据えて考える時代がきたと思う」と語った。 =敬称略 ◇ 101回目の全国高校野球選手権東・西東京大会が7月6日に始まる。時代とともに変わろうとする高校野球の姿を追った。(原田悠自) |
「無理だけはするな」米大リーグの経験、球児の未来守る
新闻录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语
相关文章
「シード校キラー」八王子北、今年も強豪私学を苦しめた
選抜出場の国士舘、都立校に逆転負け 夏の初戦で姿消す
背番号1「言葉にできない重み」制球狂った国士舘エース
エースが救援で雰囲気変えた 日大三、苦しんで初戦突破
東海大菅生、コールド発進 選抜出場逃した悔しさ糧に
「みんなでつかんだ勝利」主将が涙 監督もつられて涙
悔しさ忘れなかった青学 因縁の対決、結果は秋と正反対
優しすぎた主将は「鬼」になった 試合中は本性隠せず
120キロ離れていても仲間 好きになった「島の野球」
ソフト部廃部、思わぬ「転身」選手目線で支えた女子マネ
左投げに変えた外野手、好返球「左ひじに感謝しかない」
51年ぶりの夏勝利、80代OBも歓喜 西東京・五商
借りを返したい、主将に立候補 試合に負けても「元気」
「マネジャーって必要?」→感謝 僕が日本で学んだこと
屈指の好左腕、キューバ遠征で進化 でも初戦で姿消す
国立か西か…最後まで迷った進学先 公式戦で初顔合わせ
本盗で奪った勝ち越しの1点「あの分、長く野球できた」
背中で引っ張った主将、立ち尽くす「最後にこんな姿で」
コールド負け、出場辞退…「終わりたくない」磨いた投球
起きたら病院「終わった」でも主将に あいつじゃなきゃ
唯一の定時制の野球部員 入試で決意、監督は覚えていた
球児たちに贈る「凡事徹底」 ヤクルト・近藤一樹投手
監督・責任教師・顧問が一斉に異動…ピンチ救った社会人
野球離れ、硬式・軟式を越え連携 始まりはティーボール
早実を破った都立進学校・小山台、躍進の春を経て夏へ