「ナイスバッティング!」。6月19日、兵庫県高砂市の高砂高校のグラウンド。ショートの小河原(おがはら)拓弥(ひろや)君(2年)は練習で大きな声を出したり、打球が来ると捕球し、素早く一塁へ投げたりして汗を流していた。半年ほど前は病院のベッドで過ごし、難病と闘っていた。「病気になる前は体力的に一日一日を乗り越えるので精いっぱいだった。けど、いまは野球が楽しい」
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3人兄弟の次男として生まれ、小学校に入ると、4学年上の兄の後を追うように地元のソフトボールチームに入った。中学では野球部に入部した。3年の夏、兄の友人がいた高砂高校の野球部の練習に参加させてもらった。その先輩たちが試合で奮闘する姿に「ここで野球したい」と進学を決めた。
高校で野球部に入部後、ほどなくして38度前後の熱が続くようになった。体がだるく、歩くのもしんどかった。ただ、練習に行けなくなるのが心配で両親や監督にほとんど話さなかった。
しかし、体調は改善せず、その年の秋、母のみささん(42)と一緒に地元の病院を訪れた。「クローン病かもしれない」と医師が口にした。クローン病ってなんやろう――。聞いたこともない病名に漠然とした不安が頭をよぎった。「野球、できますか」。「体調がいいならやっていいでしょう」という医師の言葉に、少しでも早く治して野球をしようと前を向いた。
その後、クローン病の診断を受け、西宮市にある兵庫医科大学病院に入院した。絶食して点滴を受ける時もあった。冬に入ると、部員たちは走り込みや筋トレで体力作りにも励む。なんで自分が難病になるんや。練習に参加できないと差がついてしまう。病床でいらだちや焦りを感じた。
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支えてくれたのは仲間たちだった。
「部活終わったよー!!」「ノートとっとくからー」。山本康成君(2年)は野球部や授業の様子をLINEのメッセージでいつも教えてくれた。梶原大暉(ひろき)君(同)や浅村一希(いつき)君(同)と一緒に、高校から50キロ以上離れた病院に見舞いにも来てくれた。「お前がおらんと寂しいねん」。仲間の言葉に、みんなとまた野球をしたいという気持ちが強くなった。
母がスマートフォンで撮影した動画には、先輩や同級生ら部員約20人のメッセージが入っていた。「待ってるで!」「ひろちゃん頑張れよ!」。思わず、目に涙が浮かんだ。中学時代の野球部の後輩らからは瓶に入った折り鶴も届いた。
家族も支えた。みささんは週に3、4回、病院に通い続けた。拓弥君が投薬治療を経て12月中旬に退院後、脂質の制限から好きな物が食べられなかった。そのため、消化のいいものを心がけ、ハンバーグに鶏のささみを使ったり、油を使わない調理器で料理を作ったりと工夫を凝らした。
両親の結婚記念日でクリスマスイブの日。長男夫婦の提案で、兄弟らで親へのプレゼントを企画し、拓弥君は手紙を贈った。「2人のおかげで3人はちゃんと育ってます。オレが調子悪なって入院した時、心配して遠いのに来てくれたのも感謝してます。恥ずかしいけどちょっと嬉(うれ)しかった。ありがとう」
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年明けの冬休みに、母と高校のグラウンドへ野球部の練習を見に行った。「小河原やんけ!」と部員たちの声に、緊張して「こんにちは」と返事はぎこちなくなった。吉川祐司監督は「ゆっくり調子を戻していこう」と握手をしてくれた。久しぶりに野球部に戻ることができ、ほっとした。
3学期が始まると、体幹トレーニングやランニングから始めた。はやる気持ちを抑えられず、「練習に行ってもいいですか?」と監督のもとにたびたび相談に行った。2月の終わりごろから徐々に練習に参加できるようになったが、練習不足もあって思うようにプレーができず、悔しさも募った。いまも2カ月に1回は病院で点滴を受け、難病との闘いは続いている。
ただ、病気になって気付いたことがある。病気になる前は一日一日を大切にできなかった自分がいた。難病を発症してご飯も食べられず、好きな野球ができなかった。「当たり前」の大切さが身にしみた。そして、仲間たちや家族の存在の大きさにも――。
先輩たちが最後の夏に挑む兵庫大会が目前に迫る。「今度は練習の準備やスタンドでの応援で、チームの力になって恩返しをしたい」(武田遼)
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〈クローン病〉 小腸や大腸などの消化管で炎症や潰瘍(かいよう)が起きる原因不明の難病で、発熱や腹痛、体重減少などの症状が出る。根本的な治療法がなく、若い世代に発症しやすいとされる。厚生労働省によると、国内の患者は昨年3月時点で約4万人。