大阪府高槻市の会社員納健太郎さん(53)は、通勤中に崩れてきたブロック塀の下敷きになり亡くなった父親(当時64)の銘板の前で目頭を押さえた。「2人だけで飲んだことがなかった。言えなかったありがとうを伝えたい」
多くの命や住み慣れた街並みを一瞬で奪った阪神・淡路大震災の発生から、17日で22年を迎えた。この経験と教訓を、次世代にどう紡いでいくか。大切な家族を失った人たちだけでなく、若者たちも各地の追悼行事を訪れ、語り継いでいく決意を新たにした。
阪神大震災から22年 遺族らが各地で犠牲者を悼む
特集:阪神大震災22年
「1・17のつどい」が開かれた神戸市中央区の東遊園地。兵庫県芦屋市の会社員、宮原義男さん(34)は午前5時46分、竹灯籠(どうろう)の灯(あか)りを前に、弟の和夫ちゃん(当時4)の写真を両手に抱え、語りかけた。「今年も、見守っていてね」
22年前、激しい揺れで芦屋市の自宅が崩れ、下敷きになった和夫ちゃんが亡くなった。両親が共働きで、2人で過ごす時間が長かった。一緒にテレビを見たり、弟を寝かしつけたり。当時、和夫ちゃんが肌身離さず持っていたくまのプーさんのぬいぐるみを連れて毎年、東遊園地を訪れている。「心の中では今も一緒。また1年、共に歩みます」
神戸市兵庫区の会社員、大滝裕晋(ひろのぶ)さん(51)は、妹の須美恵さん(当時28)の笑顔を思い浮かべて手を合わせた。震災で、神戸市須磨区にあった自宅が全壊し、須美恵さんが亡くなった。毎年、地元の自治会が開く追悼集会に参加してきたが参加者が減って昨年で中止に。今年、初めて東遊園地を訪れたという。
「この集まりも人が少なくなってしまうかもしれない。忘れないように、思いをつないでほしい」。阪神大震災の体験が風化しつつあるとの実感がある。
「本当は、自分は生きていなか…