在沖米軍基地の広さを東京23区に重ね合わせた地図を手にする川平朝清さん=2018年5月8日、東京都港区
沖縄は15日、1972年の本土復帰から46年を迎えた。川平朝清(かびらちょうせい)さん(90)は復帰直後、息子のDJジョン・カビラさん(59)、俳優の川平慈英さん(55)ら家族とともに東京に移住し、今も暮らしている。復帰してよかったという思いは変わらないが、失望もまた禁じ得ないという。
沖縄はいま
都内の自宅を訪ねると、川平さんは真っ先に東京23区の地図を取り出した。11の区は赤色。「日本では、在日米軍専用施設の7割が国土面積0・6%の沖縄にあるといっても理解されない。ならば、その大きさを23区にあてはめた。当事者意識につながりませんか」。2年前に自ら計算し、知人に作ってもらった。講演などに持参している。
一方、手帳の3、4月の欄には約7万3千人、約3万8千人と東日本大震災、熊本地震で避難生活を送っている人の数が記されていた。「当事者意識が必要なのは、沖縄のことだけではない」と川平さんは言う。
琉球最後の国王に仕えた祖父を持ち、日本統治下の台湾で27年に生まれた。46年、地上戦で荒廃した家族の故郷・沖縄へ。50年、米軍が開局したラジオ放送局で日本語アナウンサー第1号となり、ニュースや音楽を伝え、沖縄戦体験記を朗読した。米側の資金で米国にも留学し、67年には沖縄放送協会の初代会長に。沖縄の日本復帰に伴い、吸収合併されたNHKで東京に配属され、国際協力担当などを務めた。
復帰の日。過重な基地負担が残り、那覇市では抗議集会もあったが、川平さんは期待を胸に迎えた。帰省するたびにインフラが整備され、多くの観光客が訪れる発展を実感。戦前から戦後の沖縄の歴史を振り返ると、芭蕉布(ばしょうふ)や紅型(びんがた)など伝統工芸の魅力を広めたり、泡盛や沖縄そばを発展させたりした中に、沖縄に調査に訪れたり、移住したりした本土出身者が多数いた。
米国も、理不尽な基地被害をもたらす一方、留学先には「米軍ではなく、沖縄住民のために働きなさい」と励ましてくれる大学教授がいた。今年亡くなった妻も米国人だ。
激動の人生を歩んできたからこそ、日本や米国との関係が豊かな沖縄を築いてきたとの思いは強い。それだけに米軍基地のありよう、政治の姿への失望が近年、大きくなっている。
政府は「沖縄に寄り添う」と繰…