俳優浅野忠信さん(45)の個展「3634」展が、東京・神宮前のワタリウム美術館(月曜休館、2月11日は開館)で3月31日まで開かれている。俳優業や音楽活動の合間を縫い、自由気ままに描いた絵は5年間で個展名である3634枚にのぼる。ハードロック的なものからアメコミ風など厳選した700点が会場にあふれ、浅野さんの頭の中をのぞいているような気分に浸れる。その果てしない創作の源はどこにあり、なぜ描き続けるのか。浅野さんに聞いた。
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――たくさんの作品をいつどのように描いているのでしょうか。
「いつでもどこでも描いています。制作時間はだいたい1枚10分以内ですね。紙袋や処方箋(せん)の紙の裏もありますが、普通のA4のコピー用紙が大量に家にあるので、それに描いています。うつぶせに寝っ転がって足をあげながら描くのが一番楽で、その格好じゃないと描けなくなってしまいました。さすがに家以外だと座って描いていますけどね。でもやはり、リラックスできる場所でリラックスできる状態で描くのが好きです」
――演技や音楽で表現する中で、なぜ絵でも表現しているのですか。
「俳優の仕事はやりがいと共にストレスもたまりますが、そういったストレスが一切無いのが絵です。自分の中にたまった気持ちを発散してくれます。誰から頼まれているわけでもなく、描きたいものだけを描いているので、やめたければやめます。そういう意味では一番気持ち良いものです」
「忠信」という名前の由来は…
――初めて絵に興味を持ったのは3歳ごろだそうですね。昔からずっと絵が好きだったのでしょうか。
「私の忠信という名前は、絵描きを目指した父が画家横尾忠則さんの『忠』からとって名付けてくれました。有名な画家の名前が由来になっていることがうれしく、自分が絵を描くことを許されている気がしていました。絵を描いていると自分の世界に入れて夢中になれ、とても心地良い時間でした」
――それは大人になるまでずっと続いたんですね。
「ずっと描き続けていました。高校生のころ、僕のスケッチブックを見た友達に『忠信はよく絵を描くよな』と言われたことがあります。人はみんな絵を描いているものだと思っていたので、その一言を聞いて、描かない人もいるんだということに気付きました。意識して絵を描くようになったのはそこからだと思います」
――白黒で描く画風に至った経緯を教えて下さい。
「画集を2冊出した後、30代のころに横浜の貸工場を借りて、油絵やスプレーを使って描き始めたんです。でも散々やった後、『めんどくさい』ってなっちゃったんですよ。水を用意しなきゃいけないし、大きいキャンバスは保管場所が大変だし。これ以上こんなことはやりたくないと思い、じゃあ次は何をやろうかなと。そのときに『白黒だったら良いんじゃないか』って思ったんです。それから、白黒で鳥などの動物を描いていました」
――その後、2014年に中国であった映画の撮影が大きな契機になったそうですね。
「現場ではほぼ日本人が僕一人で、なかなか自分の思いが伝わらずにものすごい孤独とストレスを感じていました。気付くとスケジュールの紙の裏とかにボールペンで描いていて、それがすごくしっくりきたんです。『これだ!』と気付きました。何でもない紙に何でもないボールペンで描く。これだったら続けられると思いました」
――ボールペンと他には何か使っていますか。
「道具は主にボールペン、万年筆、太いサインペンです。今回の展示作品には色つきの作品もありますが、それはCM撮影のときにカラーペンを差し入れしてもらって、家で描きだしたらすごく楽しくて。飽きたから、今はまた白黒で描いてます」
■隙のある瞬間を見た…