設置当時の北千里駅の自動改札機=1967年、大阪府吹田市、オムロン提供
2017年はどんな一年になるのかな? そんな視点で街を見わたすと、私たちの暮らしを変えた技術の導入から、この春で50年になると知った。駅での乗降をスムーズにした「自動改札機」。その歩みと開発に込められた思いは、未来へつながっていた。
特集:テツの広場
「『ここに定期券を通してください』と言われ、なんでこんなことをするのかと思った。でも、通すだけでいいし、えらい便利なもんができたと思ったね」。阪急電鉄北千里駅(大阪府吹田市)を利用する杉山仁一(ひとかず)さん(85)は、50年前を懐かしそうに振り返った。
杉山さんは1960年代半ばから、吹田市と豊中市にまたがる千里ニュータウン(NT)の府営住宅で暮らしてきた。入居して約3年後の67年3月1日、千里線の延伸に伴って北千里駅ができ、日本で初めて自動改札機が実用化された。
千里丘陵での日本万国博覧会が3年後に迫るなか、千里NTの人口は増加。府内全体も57年からの10年間で1・4倍になり、67年に700万人を超えた。
北千里駅の開業はバスと電車で勤めに出ていた杉山さんら沿線住民の生活を変えた。なかでも自動改札機の登場は乗客を驚かせ、阪急の社内誌に「新しい街、新しい駅にふさわしく、乗客としていささか誇りを感じますね」という声が紹介された。
一方、こんな記憶の引き出しをあけてくれた人もいる。「最初は故障ばかり。定期や切符を入れても、ドアが開かないことがあってね」。化学工業会社員だった久代(くしろ)二郎さん(83)だ。北千里駅の開業前年に家族と新居に越してきて、通勤で駅を利用していた。
自動改札機の故障に備えて、そ…