「代理署名訴訟」で国と裁判で争ったときのことを語る元沖縄県知事の大田昌秀氏=2016年12月17日、那覇市、岡田玄撮影
沖縄の米軍基地問題を訴え続けた元沖縄県知事の大田昌秀(おおた・まさひで)さんが12日、死去した。92歳だった。1995年に米兵による少女暴行事件が起きた当時の知事で、米軍用地の提供に必要な手続きを拒み、米軍普天間飛行場の返還合意などを引き出した。
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90年の知事選に立候補し、4選を目指していた故・西銘順治氏を破り初当選。2期8年にわたって知事を務めた。
この間、95年9月に米海兵隊員らによる少女暴行事件が起きると、地主が契約に応じない米軍用地を政府が強制使用するために必要な手続き(知事の代理署名)への協力を拒否。10月には、事件に抗議する県民総決起大会に参加し、米軍基地の整理・縮小と米軍人らの犯罪を特別扱いする日米地位協定の改定を求めた。
沖縄県宜野湾市の住宅密集地にある普天間飛行場の危険性を訴え、96年の日米両政府による返還合意につなげた。