米軍のパラシュート降下訓練をめぐる動き
米軍が沖縄県で実施したパラシュート降下訓練に、地元が強く反発している。稲田朋美防衛相も米軍を批判した。ほかの訓練と何が違うのか。
特集:沖縄はいま
5月10日午後7時半すぎ、米軍嘉手納基地(沖縄市や嘉手納町など)の上空を飛ぶ軍用機から、米兵が次々に飛び出てパラシュートを開いていった。1時間ほどで十数人が基地内に降り立った。
嘉手納での夜間の降下訓練は、1972年の沖縄の日本復帰後初。訓練実施を日本側が把握したのは当日で、米連邦航空局がホームページで「ノータム」(航空情報)を公表しているのに沖縄防衛局が気づいた。政府が米軍に訓練中止を要請したが、そのまま実施された。
嘉手納では4月24日、6年ぶりとなる日中の降下訓練が実施されたばかりだった。嘉手納町議会は5月11日、全面禁止を求める決議を全会一致で可決。12日には富川盛武副知事が、米軍幹部や在沖米総領事に面会して抗議した。
地元の反発が大きい理由の一つに、過去の事故の記憶がある。降下訓練がかつて実施されていた嘉手納町の隣、読谷村。65年、パラシュートをつけて投下された2・5トンのトレーラーに10歳の女の子が押しつぶされ、死亡した。当時を知る男性(69)は「兵士が民家や畑に何度も落ちてきた。いつ降ってくるかわからず、注意のしようがなかった」。79年には、7キロの鉄塊をつけたパラシュートが民家のわきに落下。村ぐるみの反対運動がわき起こった。
日米両政府は96年、降下訓練…