犬飼兵衛さん
1987年5月の朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)襲撃事件で重傷を負った元朝日新聞記者の犬飼兵衛(いぬかい・ひょうえ)さんが16日、急性心臓死の疑いで香川県内の病院で死去した。73歳だった。葬儀は近親者のみで営んだ。
【特集】阪神支局襲撃事件30年
【時系列で追う】記者襲撃、あの夜から
右手の指失っても…握り続けたペン 犬飼元記者死去
事件は憲法記念日の5月3日夜に発生。目出し帽の男が阪神支局に侵入して散弾銃を発砲し、小尻知博(こじりともひろ)記者(当時29)が殺害された。支局にいた犬飼さんは2、3メートルの距離から200個以上の散弾粒を浴び、右手の小指と薬指を失った。
事件後、「赤報隊」名の犯行声明文が送りつけられたが、東京本社銃撃や静岡支局爆破未遂など一連の朝日新聞襲撃事件(警察庁広域重要指定116号)の全てが未解決のまま03年3月までに公訴時効となった。
犬飼さんは阪神支局事件の1年後に兵庫・淡路島の洲本支局長として取材活動に復帰。姫路支局長などを経て、長野県の諏訪支局を最後に07年に退職した。阪神支局事件の時効を前にした記者会見で、犯人に対して「人間ならば言葉で訴えなさい。なぜ阪神支局を襲ったのか、その口から直接聞きたい」と語っていた。
◇
〈朝日新聞襲撃事件〉 1987年5月3日午後8時15分ごろ、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局2階の編集室に目出し帽をかぶった男が押し入り、犬飼兵衛記者と小尻知博記者(当時29)に無言で散弾銃を発射し、立ち去った。小尻記者は4日未明に死亡。犯行声明文には「赤報隊」の名で「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」などと記されていた。このほか東京本社銃撃(87年1月)、名古屋本社寮襲撃(同9月)、静岡支局爆破未遂(88年3月)などがあり、いずれも「赤報隊」を名乗る犯行声明文や脅迫状が通信社などに届いた。警察庁は一連の事件を「広域重要指定116号事件」として捜査。未解決のまま阪神支局襲撃事件は2002年5月に、ほかの全ての事件も03年3月までに公訴時効が成立した。