東日本大震災で岩手県釜石市の市防災センターに避難した女性(当時31)が津波の犠牲になったのは、本来の避難場所でないと市が周知しなかったためだとして、遺族が市に損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、和解が成立する見通しとなった。市と遺族側が8日、仙台高裁が提示した和解案の受け入れを表明した。和解期日は7月3日。
和解案は市が遺族に和解金48万9500円を支払う内容。また、高裁は市に対し、①重い責任を受け止めて行政上の課題と施策を明らかにし、犠牲を繰り返さない決意を明らかにすること②女性が職務中に命を落としたことに遺憾の意を表し慰労と慰霊の措置をとること――を勧告した。
遺族側は和解案を適切なものだと評価。「裁判所は私たちの気持ちを受け止め理解してくれた」とのコメントを出した。
訴えているのは女性の両親。女性はセンター隣の市立幼稚園の臨時職員だった。現場となった鵜住居(うのすまい)地区防災センターは市の避難場所ではなかったが、女性のほか付近の住民が逃げ込み、市の推計によると162人が犠牲になった。
裁判では避難所の周知義務がどの程度あったかや、震災当日の避難誘導が妥当だったかなどが争われた。一審・盛岡地裁は昨年4月、「市は避難場所でないと積極的に知らせる義務はない。避難場所は広報誌などで周知しており、誤解を与えたと認める証拠もない」などと判断。原告側の請求を棄却した。
一審原告の2組の遺族のうち、1組が仙台高裁に控訴。高裁の小林久起裁判長は今年2月、「行政のあり方などを考える碑(いしぶみ)となるような建設的な解決ができないか」と和解を呼びかけ、市も遺族側も和解協議に応じる姿勢を示していた。
野田武則・釜石市長は一審判決後の会見で、「危機意識に甘えがあったといっても過言ではない。二度と悲劇を起こさないため、教訓を生かしていくことが責務だ」と述べていた。(御船紗子)