東京ヤクルトスワローズ・近藤一樹投手
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日大三はとにかく練習が厳しかった。12月の2週間の合宿は、朝5時に起きて走り込みから始まります。一日の練習を終えて、洗濯も済ませて寝たのが午前2時の時もありました。必死でした。
練習が大変でなければ1人で乗り越えられる。本当に練習がしんどいと、助けられないけど声をかけ合ってみんなで盛り上げて乗り越えなくてはいけない。そうやって一日一日を終えていくと、少しずつチームワークがよくなっていき、心身だけでなくチームの和も強くなりました。
それでも、選抜大会では3回戦で敗れました。その夜、小倉全由監督から話がありました。「お前たちはトップになれるぞ」。これで夏に勝てるのかと思っていた僕らを奮い立たせてくれた。「力を出し切った負け方ではないぞ」と自らに言い聞かせた。また新たに夏まで、日々の練習を内容も時間もどちらも濃いものにしていきました。
毎日遅くまで強烈なノックを受けた。これ以上ないんじゃないかと思うぐらいの練習をしました。自分たちの代でこれだけ練習したチームは絶対にない、だから絶対に勝てる、という自信を一人ひとりが持つようになっていきました。
投手陣は「球速が何キロ出た」「俺の方が速かった」などと競い合って投げていました。あいつこんな練習しているから俺ももうちょっとやろう、という感じです。個性の強いメンバーの集まりだからこそ互いに刺激し合って、自身を高めることにつながりました。
西東京大会は、6試合中5試合で無失点コールド勝ちできました。甲子園では、打たれることもあったけど、それ以上によく打ってくれました。
僕は練習をいっぱいした自信が逆に空回りしてしまった。試合前日から投げたい投げたいという気持ちが走って、夜も寝付けなくて体調が整わない。でも投げたく、いざマウンドに上がると心と体が一致せず力を出せない状態でした。
甲子園の優勝は、その時の主将の力が大きかった。控え選手で、他の選手のせいで怒られることも多かったが、責任感を持って引っ張ってくれた。試合に出られない主将に最後の仕事をさせてあげたい、とみんなで話をした。彼に優勝旗を持たせることができて本当によかった。
プロに入って、高校時代の練習量が体力・持久力を引き上げてくれて、今につながっていると感じます。プロに入ると量より質の高い練習になる。でも、体力がなければ、質を高めることはできません。
選手たちは厳しい練習を積み重ねて、この夏の大会に臨むと思います。普段の練習以上のことをやろうとすると失敗するので、いつも通りのことを当たり前のようにやってほしい。「凡事徹底」です。
普段の自分を出すことができれば結果がついてくる。僕も失敗を重ねて気づきました。当たり前のことを当たり前にできるように、「いつも通り」という言葉を贈りたい。(構成・山田知英)
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こんどう・かずき 1983年、神奈川県出身。日大三3年の春に選抜大会に出場し3回戦に進んだ。その夏の選手権大会で優勝し、同校初の全国制覇を成し遂げる。2001年、ドラフト7位で大阪近鉄バファローズ(現オリックス)に入団。08年に10勝をあげた。16年に東京ヤクルトスワローズに移籍。昨年、自己最多の74試合に登板し、最優秀中継ぎ投手に輝いた。右投げ右打ち。背番号20。