真備追悼復興一年祭で夜空にあげられた、追悼のランタン=2019年7月6日午後7時39分、岡山県倉敷市、遠藤真梨撮影
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1年前の西日本豪雨で大規模浸水し、51人が死亡した岡山県倉敷市真備町地区では、民生委員や自主防災会役員が、高齢者らに懸命に避難を呼びかけた。親しい人から連絡してもらって助かった例もあったが、要支援者42人が死亡した。事前に支援者や避難方法を決めておく「個別計画」の重要性が明らかになった。
真備町地区の人口は当時約2万3千人。民生委員は約40人で、町内会単位の自主防災会は35団体あった。うち民生委員8人、自主防の役員11人に当時の状況を取材した。
箭田(やた)地区の自主防会長の男性(60)は、町内会の連絡網で避難を促し、自宅周辺は直接訪ねた。高齢女性の家は電気が消え、近所に娘がいたため、「避難したのかな」と思った。しかし後日、遺体で見つかった。
一方、川辺地区の自主防副会長の男性(68)が高齢男性宅を訪ねた際、呼び鈴に反応がなく、携帯に電話しても出なかった。機転をきかせ、親しい隣人から電話してもらうと通じ、無事に避難できた。「お年寄りは知らない番号からの電話に出ない。あらかじめこちらの番号を登録してもらわないと、いざという時に役立たない」と話す。
別の地区では、高齢者が民生委員の避難の呼びかけに応じて助かった例と、応じずに亡くなった例があった。担当の民生委員は「民生委員は10年やって、やっと信頼を得られる。信頼できる人に声を掛けられて初めて人は動く」と話した。
2011年の東日本大震災では死者の6割を高齢者が占め、障害者の死亡率は全体の倍だった。国は13年、災害対策基本法を改正。市町村に「避難行動要支援者」名簿づくりを義務づけ、民生委員や自主防と協力して個別計画を作るよう求めた。個別計画は、緊急連絡先、住宅の構造や寝室の位置、避難情報を誰がどう伝えるかを記入し、避難を支援する人に渡す。
真備町地区で市から要支援者名簿を「受け取っていた」と答えた民生委員は8人中7人だったが、自主防役員は11人中1人。個別計画づくりはほとんど進んでいなかった。その理由について、民生委員は「要支援者が多い」、自主防役員は「支援者が確保できない」と答えた人が多かった。民生委員は1人当たり200世帯前後を担当。多くの自主防会長は町内会長を兼ね、1年交代が慣例だった。(千種辰弥)
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