大川小の閉校式。学校から校旗が市教委に返納された=宮城県石巻市大森
東日本大震災で74人の児童と10人の教職員が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校が、児童数の減少から近隣の小学校と統合することになり、24日、閉校式が行われた。児童は震災前の108人から29人になり、前身の学校を含めると145年の歴史に3月末で幕を閉じる。被災した旧校舎は震災遺構として保存が決まっている。
この日、統合先の二俣小であった閉校式には、いまの児童や保護者と、震災当時の在校生、地域住民ら、計約350人が出席した。津波にのまれながら助かった当時5年生の只野哲也さん(18)は終了後、「学校がなくなるのはさみしい。大川小に悲しい印象を持つ人も多いが、自然が豊かで地域の人たちと深いつながりがあった場所。これらを忘れずに生活していきたい。今後も語り部活動に参加したい」と、取材に話した。
亀山紘市長は式典で「震災で多数の児童が犠牲になったことは痛恨の極み。閉校には様々な思いがあるだろうが、地域の伝統は子どもたちに受け継がれていくだろう」と述べた。式典の終了後、鍵頼信校長は「地域と共に歩んできた学校。寂しさを感じる」と話した。
震災後、大川小は別の学校の校舎に間借りした後、被災した旧校舎から10キロ離れた二俣小にプレハブ施設を設置し、授業などを続けてきた。市教委は校舎を高台に新築して移転する案も検討したが、児童数の減少や住民や保護者へのアンケートなどから、2016年11月に閉校を決めた。
大川小は1985年に二つの小学校が統合してできた。2校の前身は1873年の創立だった。
津波で亡くなった児童23人の遺族が市と県に計23億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審は、仙台高裁で4月26日に判決が言い渡される。(加藤裕則)