彦根東と慶応の熱戦を見る中家美代子さん(右から2人目)=阪神甲子園球場、高岡佐也子撮影
(28日、選抜高校野球 彦根東4―3慶応)
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「どちらを応援しようか、困ります」。阪神甲子園球場のスタンドに第1試合を戦った彦根東(滋賀)と慶応(神奈川)の双方にゆかりがある家族がいた。
滋賀県彦根市で育った中家(なかいえ)美代子さん(74)=大阪市城東区=は、夏の甲子園の前身の全国中等学校優勝野球大会第2回大会(1916年)で優勝した慶応普通部(現慶応)のジョン・ダン選手のめい。ジョン選手は一塁手で大会初の外国籍球児として注目された。
中家さんの父エドウィン・ダン・ジュニアは、ジョン選手の長兄で、戦後はずっと母方の実家があった彦根市で暮らした。中家さんは7人きょうだいの末っ子で、長男と三女が彦根東を卒業している。
「兄や姉は彦根東だし、ジョンは慶応だし……。本当にどちらも頑張ってほしい」。中家さんはこの日、球史に名を残した叔父の後輩たちと、兄や姉の母校のチームの対戦という奇遇を一目見ようと、長女の松田かおりさん(47)、次女の城崎伸乃(じょうさきしの)さん(45)、孫の城崎舞さん(9)と観戦した。
一塁側アルプス席は彦根藩主井伊家の軍装「赤備え」にちなみ赤色に染まり、いっぱいの慶応側の三塁側アルプスからも大歓声が上がった。「活気がすごいですね。『青春』という感じですね」
祖父にあたるジョン選手の父のエドウィン・ダンは北海道で酪農の基盤を築いた米国人。三男のジョン選手は日本で野球をした後、1920年ごろ米国へ渡ってオハイオ州の製鉄所で働き、日本の技術研修団を歓待した。伸乃さんは「面識はないけれど、死ぬまで日本と野球を愛し続けたと聞いています」と話す。
中家さんは140年を超す家族の日米交流に思いをはせ、「父や叔父がこの試合を見たら、本当に感動したでしょう。逆転、また逆転のいい試合でした。来て良かったです」と感慨深げだった。(編集委員・永井靖二)