「黙っていては何も変わらない」と話す宇良宗之さん=2018年5月8日、沖縄県宜野湾市、伊藤宏樹撮影
沖縄が日本に復帰して15日で46年。米軍関係者による事件・事故に遭い、思うように補償を受けられない被害者が絶えない。日米両政府が定めた補償の仕組みは、手続きが複雑なうえ、米政府が拒否しないことが前提だからだ。全国の米軍専用施設の7割が集中する沖縄の苦しみは、解消されそうにない。
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特集【沖縄はいま】
4月19日、沖縄県宜野湾市の会社員宇良(うら)宗之さん(33)は、那覇地裁沖縄支部の法廷にいた。2008年に起こった強盗傷害事件の被害者である父の遺族として、米兵2人に計約1850万円の損害賠償を求めた訴訟の2回目の弁論。被告席は空席だった。2人が今どこにいるのかもわからない。
提訴は昨年12月。事件から10年近く経って裁判を起こしたのには理由がある。米軍関係者が公務外で起こした事件で、米政府が示した補償金が損害額と見合わなかった時に日本政府が差額を支払う「日米特別行動委員会(SACO)見舞金」を請求するためだ。
タクシー運転手の父は08年1月、沖縄市で客の米兵2人に拳やウイスキー瓶で顔を殴られ、歯10本が折れる大けがを負い、料金2780円を踏み倒された。2人は逮捕され、日本の裁判で実刑判決を受けた。だが父は心的外傷後ストレス障害(PTSD)になり、退職を余儀なくされた。
父は米軍に補償を求めようと動いた。日米地位協定には、公務外の米軍関係者が事件や事故を起こした際に米政府が補償する制度がある。防衛省が補償額を査定し、その報告書を示された米政府が支払うかどうかを決める仕組みだ。
だが、手続きは一向に進まない。沖縄防衛局に問い合わせても「調整中」「後日回答する」と繰り返すばかり。父は事件から4年後、63歳で亡くなった。
ようやく米側の回答が届いたのは昨夏のこと。文面を読んで絶句した。金額は145万円。根拠は不明だった。しかも加害者本人や米政府への請求を「永久に放棄する」ことが支払いの条件だった。
納得できず、SACO見舞金を求める手続きをとろうと考えた。そのためには裁判で賠償すべき損害額を確定させる必要がある。「このまま泣き寝入りできない」との思いで、提訴に踏み切った。
沖縄が日本に復帰して46年経つ。宇良さんは言う。「なぜこんなに大変な思いをしなければならないのか。日本政府が米軍より住民を大切にしているとは思えない。沖縄の状況は、本質的に復帰前と変わっていないのではないか」
■「永久免責」苦渋の受け…