愛知大会は5日目の9日、9球場で18試合があった。阿久比球場の第1試合以外は2回戦となり、刈谷は延長十回にサヨナラ勝ちした。10~12日は試合がなく、13日には9球場で2回戦25試合が予定されている。
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半身まひ越え念願の打席 名古屋大谷・津森慶二君
背番号「20」が打席に立った。名古屋大谷の津森慶二君(3年)。3点を追う八回表、1死走者なしの場面で代打に送られた。「打って流れをつくる」。脳梗塞(こうそく)で右半身にまひが残るため、バットを左手で握り、右手を添えてフルスイングした――。
小学4年の時、地域の硬式野球チームでの練習中に不整脈で倒れた。体内にペースメーカーを入れて練習をしていたが、小学5年の春休みに脳梗塞を発症。立つことも指を動かすこともできなくなった。
「絶対元に戻ってやる」。入院生活中、必死でリハビリに取り組んだ。週末には一時退院して所属していたチームの練習を見学。「僕みたいな体でいてもいいのかな」と不安だったが、チームメートはグラウンドで笑顔で迎えてくれた。
復帰したが、100メートル走るだけで苦しく、右手でボールを前に投げることもできない。それでも、父親とボールを投げる練習を続けた。「できないという言葉は嫌い。できる、できると思ってきた」。中学生になると前に投げられるようになった。
高校では、仲間とほぼ同じ練習をこなしてきたが、ずっとベンチに入れずにいた。選手は46人。最後の夏にベンチ入りをめざし、打撃を磨くことにした。守備で捕球をしたり、走ったりするのは人より難しいと思ったからだ。
中学のときは軽いバットしか振れなかったが、少しずつ重くし、冬場に打撃練習と左腕の筋トレに励んだ。「人一倍バットを振っている。自分たちも負けられないなと思う」。竹内湖舶(こはく)主将(3年)らチームメートも刺激し、5月の練習試合では打撃で活躍。「ここ一本という場面で試合に出すのは彼」と中原家康監督に認められ、初めて背番号をもらった。
この日の打席は、ボールに手を出してしまい、三振に倒れた。試合後、悔しさをにじませながらもこう話した。「苦しいことやできないことも結構あったけど、楽しかったことの方が多かった。野球という存在があってよかった」(村上友里)