沖縄勢、招待試合に育てられ〈高校野球アイ〉——贯通日本资讯频道
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沖縄勢、招待試合に育てられ〈高校野球アイ〉

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沖縄県高野連招待試合の開会式で整列する大阪桐蔭の選手たち=6月11日、北谷公園野球場


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高校野球では春から夏にかけて、招待試合が全国各地で開催される。公式戦ではないものの、背番号をつけて臨む試合には、練習試合とは違う緊張感がある。


沖縄県高校野球連盟の第45回招待試合は6月11、12の両日、大阪桐蔭を招いて北谷公園野球場で開催された。対戦するのは、春季県大会でベスト4になった糸満、豊見城、沖縄尚学、未来工科の4校だ。


「本土との交流によって沖縄の高校野球は育ててもらった。招待試合のおかげなんです」。開会式で再会した県高野連元理事長の安里嗣則(つぎのり)さん(76)が、しみじみと語ってくれた。


正確な資料はないが、本土の高校を招く招待試合が沖縄で始まったのは終戦から10年ほどの1955年ごろと言われている。沖縄は戦後7年の52年から全国高校野球選手権大会に復帰し、東九州大会(大分、宮崎、鹿児島)に加わっていた。しかし、甲子園出場の壁は厚かった。


その沖縄に手をさしのべたのが、「高校野球の父」と呼ばれる佐伯達夫・元日本高野連会長だ。当時副会長だった佐伯さんは、本土から高校を招待する際の支援を約束し、「最初は大敗する。大敗して初めて奮起して強くなるのだ」と沖縄の野球人に説いたという。


本土のチームの胸を借り、沖縄の高校野球は実力をつけていく。58年夏に首里が甲子園初出場、63年に初勝利。68年には興南が甲子園でベスト4に勝ち残る快進撃を見せた。


そして72年、沖縄は本土復帰を果たす。高校野球関係者は「我々も本土に頼らず、自分たちで招待試合を開催しよう」と自立を誓ったという。「ここで仕切り直しをしたから、今年で第45回なんです」と安里さんが教えてくれた。


今や全国的にも強豪県となった沖縄。第1試合は糸満が大阪桐蔭を5―4で下した。第2試合も豊見城が1―4と善戦していたが、六回途中に雨が強くなってノーゲームに。翌12日の2試合も、残念ながら悪天候のため中止となった。


沖縄県高野連は遠方から来てくれた大阪桐蔭の選手たちを、「沖縄美(ちゅ)ら海水族館」に案内した。近づく夏に向けて、英気を養うことができただろう。


そして18日、今年も全国のトップを切って沖縄大会が開幕する。(編集委員・安藤嘉浩)



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